その一言がなければ、誰も傷つかずに済んだかもしれない――。
ラーメン店で起きた些細なやりとりがSNS炎上にまで発展。
私たちは、正しさよりも大切な「何か」を見落としてはいないだろうか。
- 「ルールを守ること」と「思いやり」のバランスについて考える
- 言葉の使い方は作品でもあり、落ち葉のように戻せないという仏教的視点
- ルールの目的は「人を縛ること」ではなく「より良く生きること」
- 「無財の七施」から学ぶ、心を豊かにするふるまいの大切さ

今日も泉チャンの話を仏教の視点から学んでいきましょう。
この授業は10分程度で読むことができます。
出典:ルールを守ることを目標にしてはいけない。言葉遣いの重要性
◆ 実際に起きたSNS炎上事件から学ぶこと
あなたがもし、長い行列の末にようやく入ったラーメン屋で食事を終えたとしたら、まだ半分も食べていない友達を残して先に店を出ますか?それとも待ちますか?
今回の超開運⤴行動学の授業では、そんな実際にあった出来事を通して、「ルール」と「思いやり」の本当の意味、そして仏教の教えにある“言葉の使い方”の重要性を学びます。
◆ 1時間並んで入店、でも友達はまだ食事中…
講話の冒頭では、空腹でラーメン屋に並んだある日のシチュエーションが語られました。
ようやく入店し、あっという間に完食したあなた。
ふと隣を見ると、友達はまだラーメンを半分以上残しています。
店の外にはまだ行列があり、店員からの視線も気になる状況。
あなたなら、その時どう行動しますか?
◆何かが足りないばかりに…
この話はフィクションではなく、実際にネット上で話題になったエピソードが元になっています。
父親と小さなお子さんが入店し、子どもの食事が遅かったことを理由に店員から
「食べ終わったら出てってくんねえか」と言われたというのです。
その父親は憤慨し、SNSでラーメン屋を批判投稿。
それがきっかけで、店も父親もSNSで炎上してしまったのです。


◆ ラーメン屋にも理由がある、でも…
ラーメン屋は“回転率”が命。
安価で提供しているため、できるだけ多くの客に席を回したいのは当然です。
だから「食べ終えたら席を譲ってほしい」というルールには合理的な理由があります。
しかし大切なのはその伝え方。
「もしお済みでしたら、後ろにお待ちのお客様のために席を譲っていただけると助かります」
もしこんな言い方をされていたら、父親も違う反応だったかもしれません。
◆ 言葉は“作品”であり、“刃”にもなる
仏教の教えの中で、「言葉は作品である」という深い示唆がありました。
陶芸家が壺を作るように、音楽家が音を奏でるように、私たちも日々の言葉で人の心を動かしている。
時に感動を与え、時に怒りや悲しみを引き起こしてしまうこともあります。
そして、一度口にした言葉は「葉っぱのようなもの」。
枝から落ちた葉は、もう戻すことはできません。



言ってしまって、「あ、言わなければ良かった」ということありませんか?
私も子供に叱って、もう少し言い方あったよなぁと反省する事がたくさんあります。。。
◆ 仏教の逸話に学ぶ「ルール」の本質
講話の後半では、仏教の有名な逸話が紹介されました。
修行中の僧侶が、川を渡れずに困っている女性を背負って川を渡った話です。
もう1人の僧侶は修行僧が女性に触れてはいけないというルールに背いたその行為にモヤモヤし、後で問いただします。
すると、背負った僧侶はこう答えました。
「僕は女性をもう川のほとりに置いてきたよ。君はまだ背負っているのかい?」
これは、「ルール」を守ることそのものが目的ではないことを教えてくれるエピソードです。
本来の僧侶の修行の目的は、困っている人を助けること、心豊かに生きることなのです。
◆ 「ルールを守る」よりも「心を配る」ことが大切
最後に、仏教には「無財の七施」という教えがあります。その中に、「優しい言葉をかけること」も布施(施し)であるという考えがあります。
お金がなくてもできる優しさ。
それが“言葉の布施”です。
ルールを守るだけでなく、どうすれば相手も自分も気持ちよく過ごせるか。
そのために、私たち一人ひとりが言葉を選び、思いやりをもって行動することが大切なのです。
まとめ
- ラーメン店のルールも、守る理由がある
- でも大切なのは「伝え方」や「思いやりの心」
- 言葉は作品。人の心を動かす力を持っている
- ルールを守ることが目的になってはいけない
- 「優しい言葉」も立派な布施。日常に取り入れよう
一言メッセージ



言葉は、あなたの心が作る作品。
今日も誰かをやさしく包む言葉を。
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